分からないことがストレスという人間の脳が作り出したもの

私は神社や仏閣へよく足を運んで、お祈りをします。そういう行為によって、気持ちをリセットする効果があると思っています。でも神様とか仏様という存在をそれほど信じてはいません。

 

私は、そうした超自然的な存在というものは、人間が必要として産みだした観念的な存在であると思っています。

 

最近心理学の本を読んでいて、神様というのは分からないということがストレスである人間の脳が作り出したものではないか、ということを思いつきました。

 

人間の感情のひとつに恐怖や恐れというものがあります。動物にも同じ感情がありますので、生き物は自分の命を守るという本能を持っており、自分の安全に対するリスクが増えるときは恐怖を感じるようになっているのです。進化論的にいうと、そういうリスクを回避する能力がある個体が生き残り、そのような特性が強化されていったわけです。

 

例えば、人間は暗闇を恐れます。暗闇は何がいるかわからないので、自分が襲われるかもしれないというリスクがあるのです。明るくて周囲が見えていたら、そういう恐怖は感じません。わからない、というところに恐れを感じる仕組みがあるのです。

 

食べ物についても、わかっているもの、わかっていないものがあり、わかってないものを食べるのは恐れを感じます。自分を害する毒であるかもしれないからです。

 

この生き物の中に共通して存在する、わからないものに対する恐怖というものは、知能が発達した人間の場合は、理解できないものに対する恐れというものに繋がったのではないかと思うのです。

 

何故、突然天気が変わるのか、何故自分たちは存在するのか、何故理不尽に人は死ぬのか、 死んだらどうなるのか、等々わからないことは恐れであり、ストレスのもと。

 

そこで、その不安や恐れを解決するために、調べたり仮説をたてたり、論理探求するようになったのですが、いくら考えてもわからないことがあります。その場合は、神様のような超越する存在をつくることで、理屈をつけることで安心をした、そういうことではないかと思うのです。

 

人間は不安な時、これはこういうことだから、という理屈をつくることで不安を解消しようとします。死ぬかもしれない兵士が、この戦争で死んだら、天国に行けるのだ、と自分に言い聞かせて死んでいったり、運命だから、と割り切ったり。信じる者は救われるというのはそういうことですね。

 

そう考える癖は人間の本能なのでしょう。

 

逆に安心なのは、見えること、わかっていること、慣れていること、予想できることなどです。だから相手に怖いと思われているときは、とにかく慣れさせるということが大事。これは新しいペットでも、新しく知り合った異性でも同じです。最初はだれでも警戒するので、繰り返して慣れさせること、慣れることが大切であるということです。

 

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