性欲は肉体の快楽のみではなく自己承認欲求を満たすことが必要

芸能人の不倫の謝罪会見をテレビで見ていて、誰が誰とセックスしようが、それは当人同士の問題なのに、公共の電波でこうやって大々的に報道する意味などないのになあ、と思います。

 

おまけに行為も低俗で不快になるし、こんな話で公共の電波使うなよ、と憤慨もするのですが、マスコミにとっては、低俗だから使わないという判断基準はありません。不快に思われても怒りを感じさせても、大衆の感情を動かせる話であれば、大騒ぎになるネタは利益を得るための売り物です。しかも相手は個人なので、いくら攻撃しても報復はないですから格好の餌食といったところでしょう。

 

そういうことで、人気商売はたかが不倫でも命取りです。仕事がなくなる上に違約金も大変だと聞きます。しかも世間から集中的に非難されて、いやはやお気の毒にとしか言いようがありません。

 

しかし大変な状況になったのは、やはり身から出た錆ではあります。バレて非難されるような愚かな行為を、彼らは何故してしまうのでしょうか。自分の立場や人気で有頂天になって、世間を舐めきっていたとか、性欲をコントロールできないセックス依存症であるとか、いろいろ言われていますが、私はセックスの本質について少し考えさせられました。

 

一般的にセックスとは、生物が繁殖するために、生まれながら持っている生殖のための本能であり行為です。それは正しいのですが、その欲求や衝動というものは、本能として片付けれるほど、人間は単純なものではないと私は思うのです。

 

男性の肉体では、性欲を刺激されたら男性器が勃起し、セックスを行える状況になり、刺激を与え続けると、射精と同時に脳内に快楽物質が分泌されるという仕組みになっています。だから、男の性欲は性器を刺激し射精する行為、また性的な快楽と単純化されがちです。

 

しかし、実はセックスにおいて、性的な快楽以上に大事なのが、自己承認欲求ではないでしょうか。

 

セックスにおける自己承認欲求とは、性欲を満たすために、異性を求めて、受け入れられたということに対する喜びです。性行為を行うことは妊娠や感染症、社会的な立場など、お互いにとってのリスクが高いわけですから、夫婦や恋人でもない相手に、「セックスさせて→いいよ」と軽いものではありません。

 

したがってセックスを受け入れてもらったときの喜びは大きく、セックスにはそうした精神的な満足感があるのです。それは明らかに自己承認欲求のひとつの形です。

 

あるいは受け入れてもらえず、無理やり相手とセックスをする、というレイプ行為も同じことであるといえます。自分が相手を支配した、屈服させたということから、自分の優位性を感じ、承認欲求を得ています。歪んだ自己承認欲求ですが。

 

肉体の射精だけであれば、自分でマスターベーションでもすれば、欲求解消になるのですが、やはり相手がいないとダメというのは、肉体的な刺激と同時に、自己承認欲求を満たさなければ、満足できないというように性欲がつくられているからでしょう。射精するだけではなく、ちゃんと相手と行為をしないと満足できないようにするとは、神様もなかなかうまく考えたものです。

 

例の不倫騒動の芸能人も、飲みに言ったお店で軽く扱われるとキレていた、とかのエピソードが紹介されていて、なるほどなと思いました。自分は偉い、自分はいけてる、自分はモテる、気軽に呼び出せてセックスができる相手がいる、という自尊心の満たし方をしていたのでしょう。悦にいってたのでしょうね。あれだけ綺麗な奥さんがいるのに、自尊心が満たされないとは、なんて人間の自尊心というのは業が深いんだろうなあ、と思いました。性欲の強さではなく、自己承認欲求のほうが根深い欲求だと思います。

 

レイプのあげく、相手を殺害してしまうのも、性的欲求よりも自尊心が傷ついた場合の方です。殺人まで犯すわけですから、承認欲求というのは厄介です。

 

しかしながら、男性は誰しも少なからず、性欲を満たすための愚かな行為をしてしまいがちですが、他人を巻き込み、迷惑をかけるような行為は慎まなければいけません。自分の本能と戦えるのも人間の持っている特性ですから。

 

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