神のマトリックス

映画「マトリックス4」が現在制作されているそうです。公開は2021年の12月であるとか。前作が好きだったので、とても楽しみにしています。

 

キアヌ・リーブス主演の「マトリックス」は、1999年に劇場公開され、大ヒットしました。長いコートを着たキアヌが銃弾を避けるスローモーションの予告映像を観て、面白そうだと思い、初日に映画館へ観に行きました。そのシーンを含め、銃撃戦やヘリコプターのシーンなど、アクションの表現が今までみたこともなく斬新で、とても刺激的な映画でした。後編の二部と三部のCGもすごく面白くて、DVDを買って何度観たことか。

 

この映画が大ヒットしたのは、そうしたアクションの新鮮さと派手さの要因が大きいと思いますが、それと同時にストーリーへの共感もあったと思います。

 

設定はこうでした。人類は進化した機械によって滅ぼされている。機械は自らの動力を得るために、人間をカプセルに入れて培養し、そこからエネルギーを得ている。人間を培養するためには生きている実感を持たせる必要があり、個々の脳はスーパーコンピューターに接続されて、1990年代の社会で暮らしている夢を見せられている。

 

進化した機械がエネルギーを得るために、そんな面倒なシステムをつくるのはSFとしては荒唐無稽な部類と思えます。要は、人間が誰かがつくったシステムの中で夢を見ているという状況です。

 

これは、実は我々の現実世界を暗喩しているのだと思います。つまり我々は自由にいろいろなことを選択しているように思っていますが、実はこの映画のように、閉じられたシステムの中で定められた選択をしているに過ぎない、ということです。

 

我々は朝起きて仕事に行き、収入を得て衣食住を確保しながら生活をしています。多くの人は家族をつくって子供を育てます。そうやって生まれて死ぬというサイクルを次世代へとバトンタッチしながら、種を未来へつなげているのですが、俯瞰して考えてみれば、ほとんどの人が同じような行動をとっているのも奇妙なことだと思いませんか。

 

日々の生活において、我々は自由意志があって、自ら考えて行動しているように思っていますが、心というものは、実は我々が考えている以上に、肉体や本能に支配されていて、自由意志なんてどれだけあるでしょう。幻想のようなものかもしれません。

 

そうした視点で考えると、人間を支配する機械というのは、人の営みを支配する自然のシステムのメタファーといえるかもしれません。我々は、自然、あるいは神といえる存在がつくったシステムの中で生きていて、どんな選択をしてもそれは神の手の内、そういうもどかしさ、理不尽さを心のどこかで感じていて、マトリックスの世界観はそれを描いていたので、多くの人が共感したのではないかと思うのです。

 

そしてマトリックスの世界に騙されない人々、モーフィアスやネオ、トリニティたちレジスタンスのグループは、システムから人類を開放させる手段がないかと、考えて戦う人々であり、人類もいつか神の作り出したこのマトリックスから抜け出せるかもしれないという希望も描かれています。

 

そういう哲学性を内包している映画だったので、我々の心に訴えるものが大きかったのではないかと私は思うのですね。ちょっと言いたいことが上手く表現できない記事になりましたが、完結した物語の後編がどう描かれるのか、どういう驚きがあるのか、どういう解釈が出来るのかとても楽しみにしています。

 

 

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