人の表情について

無表情な人には、なんだか怖い印象を持ってしまいます。逆に表情が豊かな人には安心感を持ちます。

これは、人間が表情から、相手が何を考えているかを読み解く特性を持っているからです。

無表情だと、何を考えているかわからない。もしかしたらこちらに悪意や敵意を持っているかもしれない、そういう不安が起こるので、安心できないのです。


だから、顔立ちがいくら整っていても表情が乏しい人は、あまり好まれません。いやいやイケメンや美人は別だよ、という方もいるでしょう。でも最初だけですよ。美しさに感心するのは。

 

例えば容姿に優れた芸能人の写真集について少し考えてみてください。もしどのページを見ても、同じ表情ばかりだったら、そんな写真集が売れるでしょうか。またそんな人が役者としてデビューしたらどうでしょう。どんな役柄でも無表情な顔や、顔に貼りついたような同じ笑顔をしていたら。誰も魅力を感じないでしょう。感情がないか、中身が空っぽと思われてしまいます。表情豊かなブサイクな芸人のほうが芸能人としてのニーズがあるのです。


人は喜怒哀楽の表情が豊かな顔に魅力を感じるのです。自分が興味を持つ人物の、喜んだ顔、悩んだ顔、苦痛を感じている顔、疲れた顔、嬉しそうな顔、様々な表情を見ることで、人は自分の感情も揺さぶられるのです。


さて、この人間の特性を悪用し、人の心を操っている人達がいます。

 

容姿はたいしたことがないのに、男性の心をつかむのがうまい女性。男性と付き合うときや、水商売などでも、男性が夢中になってしまうことがあります。その理由に、表情の豊かな女性という場合があるのです。男性が何かを喋ったら、目をキラキラさせて相槌をうつ、関心する。何か嬉しいことがあったら顔いっぱいに喜びの表情がでる。悲しいことがあったら泣きそうになる。寂しいことがあったらほっとけなくなる顔になる。そういうわかりやすい女に男は夢中になってしまうのです。逆に感情がわからない女は、つまらない女と思われてしまいます。

 

女性は自分の顔が綺麗になれば、男からモテると思っていますが、実はそうではありません。表情が豊かなほうが何倍もモテるのです。その証拠は、たいした容姿でもないのに、男性、特に高齢者を騙す女性がいることです。


また、女性に寄生するヒモ男も、この感情を表現することで、女性の心理を操ります。女性を夢中にさせるのは、愛の言葉を囁くだけではありません。我儘を言って怒ったり、泣いたり、感情をあらわすことで、女性の心を揺さぶります。他人からみると、いいように利用されているようにしか見えないのですが、「私には本心を見せてくれる」と夢中になってしまうのです。

 

他人を感情でコントロールするという彼らの得意技は、心理学に熟知し、意識してやっているというよりも、天性のものなのでしょう。人生経験から、どうすれば他人を操ることが出来るかを体感して身に着けてきたのでしょうね。

 

意識的に行っているのは、役者やプロの詐欺師。ニコニコ笑って近づいて、困った顔や怒った顔で高齢者を騙す人達です。それらは訓練で身につけています。

 

全く話は変わりますが、仏陀や菩薩の仏像の表情を見てください。不思議な表情をしていると思いませんか。目をうっすらと開けて、口元に微かな笑みを浮かべています。そんな仏像を見るたびに、この表情が、信仰でどれくらいの効果があったのだろうか、ということについて考えてしまいます。

 

仏教が普及し人々の心の支えだった時代は、現在よりも人々は生きることに必死でした。食べるものがなく飢え死にする人や病む人、争いに巻き込まれて死ぬ人、暴力や貧困、病気など、死というものが身近に存在し、社会福祉や法律なんてありません。

 

今とは比べられないくらい苦しんでいる人が多かったと思います。そういう社会の中で仏教が人々の心の支えとなったのです。

 

仏像の表情は超越者の顔です。悟りを開き、悩みや欲望という人間の業から解き放たれた顔です。うっすらと笑みを浮かべ、幸福感を漂わせています。そんな表情をしている人間は、現実にはそうそういません。人々は仏像を前に祈りながら、自分も悩みから解き放たれて、あのような幸福な顔をしたいという憧れを持っていたのではないでしょうか。

 

現代では仏教を信奉する人は昔ほどはいません。仏像の表情も、人々を集客するコンテンツとして、それほど効果があるとも思えません。昔と今では仏像のありがたみはだいぶ違うだろうなあ、とお寺に行ってよく思います。