どこかしら自分の体にコンプレックスがあって、それが原因で自己肯定感が低くなる人は多いのではないでしょうか。
少し古い曲ですが、レディオヘッドのクリープが大ヒットしたのも、そういう気持ちを持っている人が歌詞に共感したからではないかと思います。
私もその一人。昔から自分の肉体にいろいろなコンプレックスを持っています。先天的なものから、後天的なものまで、気になるところが満載です。大人になってからは、そんなことより大変なことがたくさんあるので、だんだん気にしなくなりましたが、時々風呂上りに鏡で自分の姿をみたりすると、子供の頃に嫌だった思い出や、苦しかった気持ちが蘇ってくる場合があります。
感受性が豊かな若いころに、肉体で劣っていたり歪だったりすると、つらいものなんですね。傷ついて自己肯定感が低くなります。そして、美しい同級生を羨んだり妬んだり、根性が曲がったりすることもあります。
しかし、まあ、そんなことを書いていると不思議に思います。
私だけでなく、多くの人が、どこかしら外見でコンプレックスがあって、苦しい思いをしたりしているのに、どうして外見の見栄えを良しとする社会的な風潮が強くなるのでしょうか。最近は、外見で人の価値や優劣を判断するのをルッキズムというらしいですね。
昔はこんな言葉なかったと思います。ここ十数年でインターネットが普及し、スマホにカメラが搭載され、インスタなどの個人のビジュアルが不特定多数に発信できるようになったからではないでしょうか。
そりゃ誰しも美しいものには惹かれますよ。もう本能といったものでしょう。特に人間は、人間の容姿の美醜に敏感です。ギリシャ彫刻を見ると、そういうものに魅力を感じるのは数千年前から同じなのだろうな、と思ったりします。健康的でバランスがとれた肉体や顔の造作は、やはり美しいです。
そんなことを言いながら、人は見た目じゃない、という考え方もあります。外見の美しさなんて、その人の全てではありませんからね。やはり人格や品位という内面が大事です。年をとると、なんとなく外見にも出たりしますが、一目ではわかりません。他人への優しさや思いやりを忘れない、といったような外面をしながら、実はサイコパスっていうのもありますし。
私もルッキズムには否定的なところがありますが、インスタの画面で、くねくねしている若いお姉ちゃんの動画をつい見てしまったりするんです。猫をみているのに、くねくね動画がでてくると、つい見惚れてしまう。
不快ではないので、見ちゃうのですが、やはり「私って可愛いでしょ!綺麗でしょ!」という動画が、インスタに多いので多少うんざりもしています。
そういう容姿に優れた人が、自分を見せびらかすのは、親から遺産を相続した金持ちが、自分の生活ぶりを自慢しているように思えなくもありません。「貧乏人の皆さん!私はこんなに恵まれていて、いい生活していますよ!羨ましがりなさい!」なんて感じ。そういう自慢は、人としてあまりよいことではないように思います。
でも、だからといってご本人の内心はやはりわかりませんよ。そうやって動画を挙げている人にも、コンプレックスを持っている人が少なくないことは知っています。他に何もないから、自分の外見の良さにしがみついている人もいるでしょう。それだけでじゅうぶん恵まれているともいえますが。
なんだか、訳のわからないボヤキみたいな話になってしまいました。