自分の顔を嫌いな人が日本に多い理由

日本人は、他国の人よりも美醜恐怖症にかかりやすい環境にあるのではないかと思います。

 

数年前に、ある調査研究機関が容姿に関する調査を行いました。22か国の15歳以上の男女27,000人以上に、「自分自身の容姿についてどう思っているか」ということを聞くものでした。

 

容姿に「自信がない」と答える人がもっとも多い国は日本でした。「非常に満足」「まあ満足」と答えた割合はたったの26%だったそうです。これは他の国を大きく引き離していて、日本は世界で一番容姿に自信が無い国という結果。

 

ちなみに容姿に自信がある1位はメキシコで、調査対象の76%が満足しているとのことです。メキシコ人は容姿で悩まないのですね。

 

私は、日本人の、特に若い人が容姿に自信がもてない原因は、いくつかあると思っています。ひとつは、日本が単民族国家(厳密には違いますが)であるということ。そしてもうひとつは、日本人は制服を着ることが子供のときから多い。それらが原因であると思っています。

 

人と自分を比べはじめる多感な思春期に、制服なんか着せるものだから、細かい肉体の容姿の差ばかり気にするようになるのが日本の学校です。そして同一民族だから、美人美男の基準が狭い。黒人、白人、メキシコ人、アジア人と他民族が混じっている国では、色白が美人とか、そんな基準も成り立ちません。

 

そしてテレビや雑誌で、「可愛い」や「綺麗」の定義をアイドルやタレントを使ってアイドル産業やファッション業界がつくるものだから、みんなそれが基準だと思い込まされてる。しかもアイドルまで制服着ているんですからね。どんだけ制服が好きなんだと、呆れます。日本人は画一化しての微妙な差分が好きなのですかね。

 

そんな状況から、日本の少年少女は容姿に自信を失って、自分は綺麗に生まれなかったので不運だった、あんな綺麗な子に生まれたかった、と思いながら不毛な思春期を過ごすのです。

 

スマホに顔写真を加工するアプリがあります。

 

自分の写真を、自動で綺麗に可愛く加工してくれるアプリです。iphoneのアプリだと、スノーとか。お目々がぱっちりして、口が小さくなって小顔になります。お肌も修正、皺も目立たなくなって、だいぶ若返ります。CGのアルゴリズムはよくわかりませんが、眼を認識して、顔の輪郭を縮めるようです。昔プリクラに搭載されていた画像加工は目だけを大きくして丸わかりでしたが、今の画像処理は自然な感じに処理されます。特に顔が大きい人には効果的な画像処理になっています。

 

今このアプリは、若い人を中心に普及していて、インスタやツイッターなどSNS用の写真を加工するためによく使われています。その結果、実際の人物の外見とSNS上の写真が大きく異なってがっかりという事例も増えました。SNSの写真を見て可愛いな、とドキドキしながら会いに行くと、全然違っていたという悲しい思い出を、日々どこかで生み出し続けているアプリです。「SNS上の写真は信用しない」という価値観も「オレオレとかかってきた電話を信用しない」と同じくらい当たり前になりつつあります。

 

私は女性のポートレート写真をたまに撮ることがあるので、正直いってこのアプリについては、苦々しく思っています。というのも、被写体が喜んでくれるように可愛く撮っても、CGのように目を大きくしたり、口を小さくしたりはできないので、アプリ加工の提供する可愛さには及ばないからです。

 

せっかく綺麗に撮ってあげたのに、CG加工をしてSNSにアップされたこともあり辟易しました。加工されている顔が理想的な自分の写真だと思っている人にとっては、フォトグラファーが綺麗にとった写真では物足りないのです。

 

 

個人で楽しむために自分の顔写真を加工するのは自由ですから、SNSで閉じられた世界にいるのだったら、問題ないと思います。でも現実の活動のためにSNSを使っているのだったら、加工アプリは使わないほうがよいと私は思うのですが、そんなことをするのは当たり前の時代なんですね。

 

ネットの写真は可愛いのに、実際会ってみるとそうでなかったら、どういう風に相手が思うでしょう。もちろん、女性が可愛くなりたい、綺麗に見せたい、という気持ちはわかります。そうなりたいと思うのは当然です。しかし例えばSNSで見たらすごいイケメンと思っていたのに、会ってみたらまったく違う地味顔だったりしたら、腹立ちませんかね。

 

美醜恐怖症で自己承認欲求が強い女性はもうそんなことすら考えられなくなっているのです。

 

私は、この世に生まれてきた全ての人間は、幸せになる権利を持っていると思うのです。でも、その権利があるからといって、自動的に幸せになるわけではありません。誰かが自分を幸せにしてくれる権利でもありません。権利というのは、自分自身が努力をすれば、幸せになれるという権利です。

 

そしてその幸せの中には、比較的容易に手に入れられるものがあります。それは自分の考え方、価値観を幸せな方へ変えるということです。今の自分は幸せであると感じる価値観を持つということです。

 

具体的に言うと自分の無駄なコンプレックスを無くすこと。コンプレックスが全て無駄であるとは思いません。お金がない人や、学歴がない人が、コンプレックスをバネに成長した事例はたくさんあります。自分の努力や頑張りの元になるコンプレックスは、無くす必要はありません。大いに活用しましょう。

 

私が言う無駄なコンプレックスとは、自分を嫌ったり否定したり、自分を悩ませるもので変えれないことです。太ったり痩せたりは何とかできますが、身長や足の長さ、顔の骨格なんて変えれません。どうしようもないことを悩むことは無駄ですし、そもそも何でそれを悩む必要があるのか、ということに気づくべきなのです。多くの人が、できるだけ早く克服すべきものは、自分の容姿のコンプレックスなんじゃないかなと。

 

人の容姿に対する好みなんて、千差万別です。自分を綺麗だ、可愛いと思ってくれる人が一人いたらいいじゃないですか。全員に賞賛されたいと思って自分を偽るのは、自己承認欲求の化け物になっています。

 

そんなものを使わなくても健康的に生き生きとしていたら人間は魅力的なのです。

 

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