「法律に違反しないのなら何でもやりますよ」
最近の若い子は、いい子ちゃんばかりだと思っていたので、19歳の女の子が私にそう言った時、ドキリとしました。
その子は日本とある国のハーフで、たくましい民族の価値観を親が教えているのだろうな、と思いましたが、まだ若いのに、目つきにもその性格があらわれて、狡猾そうな顔になっているのを少し哀れに感じました。
彼女はSNSを使って、ある趣味的なもの(性的なサービスとかではないです)を販売するお小遣い稼ぎをしていて、私もそれを購入したのですが、期待していたものよりかなり品質が劣っていて、これは詐欺広告と同じで、同好のグループではルール違反になるのでは、と思いました。しかし法律に違反するものでもないし、ルールも明文化されたものはなく、購入者の慎重さが足りなかったといえなくもない微妙なところなので、彼女に文句はいいませんでした。
また子供がやってることだし、少し病んでいるか、常識を知らないか、頭が悪いかして悪意はないのだろう、と思いました。はたして他の人も私と同じように騙されて購入するものだろうかと、様子をうかがっていましたが、やはり何人か勘違いする客が続きました。しばらくすると、購入したものがよくわかる画像をアップする人が何人かでてきて、注文する人はいなくなりました。
これで彼女は自分の愚かさに気がつくか、と思っていたら、今度は別のSNSグループで同じような宣伝を始めたので、そういや最初の言葉を言ってたよなあ、ということを思い出し、こいつはルールハッカーだったんだと思いました。
法律に違反しなければ、あるいはバレなければ何をしてもよい、という価値観の人をルールハッカーと呼びます。
日本人はお人良しが多いので、まさか若い女の子が、そんな人を騙すようなことを平気でするわけがないだろう、と思いこんでいるのです。
個々が自分の利益を最優先にして、他者を蔑ろにすると共同体が成り立ちません。人間が共同で生活を営むためは、社会のルールが必要になってきます。そのルールは違反すると罰せられる法律から、白い目で見られるだけのマナーのようなものまであります。ところがルールをつくっても、ルールに反して得をすることがあると、ルールを破る人は必ず出てきます。
ルール違反する人にもいろんなレベルがあり、法律を破って犯罪者になる人、法律は破らないが、捕まらないのであればルールハックしても良心は痛まない、という人まで様々です。
しかしどのレベルであれ、共通しているのは、自分が得をするためには共同体のルールを破ってもいい、という価値観を持っていることです。そういう面では、マナー違反を平気でする人は、法律を犯す犯罪者と心根は同じなんですね。
法律を犯した人は、TVやニュースに取り上げられるので、よくそんなことができるものだと驚きますが、車の運転をしていると、交通ルール違反を平気でする人が多いので、自分が得をするためにルールを破ってもいい、という価値観を持つ人は社会では少なくないのだな、とよく感じます。
私が特にイラっとするのは、車線が減るところで渋滞してて、待っている車を後目にして、前に行って合流する車です。ほとんどの車は、標識を見て、早めに合流車線に変更して車が進むのを待っているのですが、車線が変わるぎりぎりのところまで行って車線変更する運転手がたくさんいます。おいおい、こっちは待ってんのに先で割り込みするなよ!真面目に待ってるほうが損するじゃないか、と腹が立ってきます。ただでさえ渋滞で動けずイライラしているのに、横をマナー違反の車がどんどん前へ走っていくと、イライラが倍増しますね。
とはいうものの、ビジネスの世界では、ルールハックが推奨されている面もあります。慣習や規制を打破したほうが儲かる場合があるからです。しかし、ここでは法に違反しなければ儲けたほうが勝ちだ、と考えるよりも、古いルールを壊して新しいルールを構築したほうが社会のためになるから推奨されているのであり、社会で必要なルールを違反するべきということではありません。
ルールハックを平気で出来るか出来ないか、というところにサイコパス度があらわれる、と最近読んだ本に書かれてありました。
彼女は明らかに人を騙して、お小遣いを稼いでいるので、今だけ得をしても、こういうことを続けていると、いずれは痛い目にあうと思います。例えば、騙されたことを何倍もの形で報復するサイコパスと出会うかもしれません。
しかし、そういうことを彼女に言っても聞く耳はないでしょう。自分は社会的な弱者だから、そうしなければ生きていけない、という価値観を持っている人には馬に念仏です。まあ、いつか考えを改め直してくれるといいのですがねえ。