認知の記号論

我々には五感というものがあります。

 

視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚の感覚器官です。それぞれの感覚から得られた情報は脳に伝わり、その情報は我々自身の行動に影響しています。

 

その情報は膨大な量なのですが、全ての情報を脳は受け止めているわけではありません。例えば何かに集中しているときに、音が聞こえなくなったり、頭にかけてある眼鏡に気づかなかったり、自分の部屋の匂いに慣れて感じなくなったりします。つまり外部から得ている情報は、脳ですべて処理されているのではなく、欠けたり影が薄くなったりするのです。

 

五感から得られる情報のうち、視覚情報は最も情報量が多く、人の思考に強く影響を与えます。そして視覚情報も、全て見たものが脳に情報として入るということはありません。その時に興味があるものや、自分の身に危険なものなどが優先されて脳に入り、関心のないものや、普段から見慣れているものなどは、目で見ているのに脳に情報として入らない、ということが起きています。

 

なぜそうなるかというと、脳の性能には限界があり、すべての膨大なデータを処理できないからです。しかし脳の情報処理はとてもよくできていて、重要な情報のみを選んだり、全体をまとめて情報化したりします。

 

例えば自動車の運転で考えてみましょう。1トン以上の物体を時速数十キロで動かす自動車の運転は、瞬時の判断を誤ると大事故を招きます。ところが運転手は、歩行者に注意し、信号や標識を確認し、近くを走る車に配慮しということを同時に行って、事故を起こさずに運転を行うことができます。高速で移動する物体の中から見る光景は、激しく移り変わり、脳に入る視覚的情報は多いのに、我々はその中から、運転に必要な情報のみを選んで認識するという情報処理を行っているのです。しかも音楽を聴いたり、同乗者と話したりしながらという器用なことをやっています。

 

この必要な情報のみを脳内で処理するという認識の特性は、人間が美しいと感じる感覚を分析するときにも説明として使えます。

 

例えばあなたが街中で若くて美しい女性を見て、綺麗な人だなと感心したとします。このとき、視覚的に得られた脳内情報は、実は都合よくまとめられているのです。具体的に言うと、均整のとれた四肢、綺麗な肌、目鼻立ちの整った顔、笑顔、髪型などを大雑把に記号として認識し、肌の傷跡やニキビ跡などが、認識の中では省略されてしまっています。

 

美人は三日で飽きるといいますが、これは飽きるというよりも、一緒に暮らすと見えていなかったところに気づいて、今まで記号的に抱いていた幻想が壊れてしまうといったほうが正しいと思います。

 

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