先日、高校の同窓会に参加してきました。学生時代の私は、勉強やスポーツで挫折したり、コンプレックスを抱えたりして、屈折していました。同窓会に参加すると、そういうことを思い出しそうな気がして、参加を少し迷ったのですが、旧友に会いたいという気持ちのほうが強かったため参加しました。
会場に行くと、大規模な同窓会となっていて、卒業生の4割ほどが参加していました。名簿が貼りだされていたので、会いたい友人、知っている人を探したのですが、十数人ほどしか見つかりません。学生時代に話もしたことがない同窓生ばかりでした。
それでも、旧友の何人かと話ができて、懐かしい思い出話を楽しめました。会場をうろうろしていると、幹事の人と話をする機会がありました。私は、会えなかった人もいて、残念だったという話をしました。すると、参加してほしいと直接連絡を入れた人の中には、「同窓会には参加したくない、今後も参加するつもりはないので、連絡をしないでほしい」と十数人の人から言われたという話を聞きました。
その話を聞いて、学生時代に複雑な思いを抱いているのは自分だけではなかったんだという当たり前の事実に、あらためて気が付きました。多感な思春期に、自尊心が傷ついていた人が多かったのでしょう。
私の卒業校は、成績の優秀な学生が多く入学する、いわゆる進学校でした。三年のときに在籍していたクラスでは、東京大学に数人現役で進学し、医学部も多かったです。医者になったものも多く、優秀な同期にコンプレックスを強く感じる学生も多かったのでしょう。私もその一人。
同窓会に出席している人は、優秀な人か、コンプレックスを感じなかった楽天的か鈍感な人、あるいは卒業後にコンプレックスを解消できた人というところでしょうか。同窓会の出席数から、思春期は多感な年齢であり、その後の人生にも大きな影響があるのだと思いました。
ところで話は大きく変わりますが、皆さんは幽霊とか信じていますか?私は霊魂とかそういったものを全く信じていません。人間の意識は脳の細胞に蓄えられている記憶によってつくられているものなので、死亡して肉体の機能が停止したら、意識というものは存在しないものだと考えているからです。
意識とは様々なことを考えている状態です。でも実は意識って、何かの記憶が蘇ったり、記憶を組み替えたりしている状態だけじゃないかと思っています。コンピューターで例えるなら、記憶媒体に蓄えられたデータを、CPUが読み込んで、また戻しているだけ。記憶媒体がなければ、CPUは何もできないのです。したがって記憶から独立して働く意識など存在しないと思います。必ずその人の経験や、得た知識などの記憶がベースとなっています。
その記憶には、忘れたいことや辛かったことも含まれています。ネガティブな記憶は強く広範囲に記憶に残ります。記憶を探ろうとすると、すぐに顔を出してきます。したがって、意識はそのネガティブな記憶に大きな影響を受けています。
なので、とてもつらかった記憶があれば、一生悩んだり苦しんだりしなければならないのです。その過去を無かったことにしようと願っても、そんな都合のいいことは誰にも出来ません。
過去の出来事はすでに過去となっていて、それは現在に影響を与えていないのに、記憶というものは、現在の思考に強く影響を与えています。ネガティブな影響を与えているのであれば、それはとてももったいないことだと思います。
ではどうすればつらい記憶から自分を解放することができるか。
私は、記憶の上書きが最も有効な手段だと思うのです。上書きとはつまり、昔の記憶を別の記憶で塗りつぶすことです。そんなことが可能か、ということですが、書き込まれた記憶を上書きする方法はあります。それは脳の記憶容量を使い切るほどの情報量をインプットすることです。また、繰り返しで、新しい記憶を刷り込むという方法です。
若い頃に書き込まれた記憶はかなり強固ですが、それを上書きすることは可能だと思います。しつこいほど新しい記憶を刷り込むのです。例えば、お坊さんの修行もそれにあたります。何回も何回も読経を繰り返すことによって、現世での煩悩を頭から追い払うっていうのは、反復によって記憶の書き換えをしているのと同じです。受験勉強や資格の勉強も、効果的だと思います。一生懸命何かに取り組めば同じ効果があります。
新しい情報を詰め込んで、詰め込んで、昔の記憶の居場所が次第になくなっていけば、過去の記憶は薄れていきます。過去のことを何度も思い出しているうちは、過去と決別することはできません。限られた人生の日々ですが、残りの人生を幸せに生きるためのリセットは、どの時点からでも可能です。