飽くなき欲望という人の業

先月と先々月のカードの請求額がものすごいことになっていて、最近の自分の浪費を反省しています。コロナで家にいることが多くなって、部屋をリフォームしたり、家具を新調したり、いろいろと身の回りのものや趣味関係の道具を買い過ぎてしまいました。

 

しかしそれは言い訳で、もとから私には浪費癖がります。お酒を飲んでいた頃は、飲み代にかなりの金額を使っていました。人に奢るのも好きなほうです。倹約や節制から遠い性格です。どうしてこうなったかを、客観的に自己分析してみると、子供の頃に貧乏だったことや、父親がものすごいケチだったことなどが影響しているのではないかと思います。

 

私の実家はあまり裕福ではありませんでした。住むところと食べるところには不自由していませんでしたが、家はぼろぼろ、服はいつも学校の制服を着ていました。恥ずかしくて友達も家に呼べず、好きな女の子の誕生日パーティに招待されても、着ていく服がなくて困っていました。自分の容姿にもコンプレックスがありましたので、思春期以降は特に内向的で劣等感の強い少年になっていきました。当時は何もかもが嫌で、すっかり人生を悲観的に考える癖が身についてしまいました。

 

なんだか文字にしてみると、よくある話。今から考えると、大学まで進学させてもらったので、悲観するほどの状況ではなかったのですが、そういう自己否定の強い少年時代を送ったせいか、大人になって経済的に余裕がでるようになると、好きなものを買ったり、人に奢ったりプレゼントしたり、とにかくケチくさいことは嫌いになり、見栄をはってしまうようになりました。

 

といっても、育ちからくる貧乏性なところは消えないので、浪費する自分を馬鹿だなと思うことも多々あり、時々反省して、あるところでは妙に節約したりするのです。

 

そういう自分の経験を踏まえると、大人になってからバカみたいに浪費する人や、見栄っぱりの人がいると、そういう行動の原因は、子供時代のトラウマからきていて、昔に欲しかったものや、劣等感が記憶に強く刻まれていて、大人になってからの行動に強い影響を与えてしまうのだろうなと思います。

 

他にも以下のようなことを思いつきます。

 

・親の愛情に飢えていた子供時代を過した人は、大人になってからも人の愛情への欠乏感が強かったりする。

・思春期に容姿のコンプレックスを強く持つと、お洒落やファッションや美容に執着するようになる。

・若い時に女性にもてなかったり、縁がなかったりすると、成功してお金を持つと女性関係が派手になったり愛人をたくさんつくったりする。

 

人生の前半、少年時代や青年期に叶えられなかった人の欲望は、心に強く根をはって、人生後半になって経済的に余裕ができると、それを取り戻そうと行動してしまうのではないかと思います。

 

そしてその欲望は、到達点がなく、餓鬼のように決して満たされることが無い、底なし沼のように足るということがないように思います。なにかを手に入れても、足ることを知らず、さらに他のものを手に入れたくなる。これは満たされなかった思いが心に根を張っていて、それを消すことができないからです。

 

自分自身の物欲で考えると、写真撮影のためのレンズ。車やバイクで出かけるついでに写真を撮ったり、または写真を撮ることを目的に出かけたり、撮影趣味を楽しんでいますが、欲しくなるのがレンズ。雑誌を読んだりネットをみたりしていると、このレンズだったらいい写真が撮れそうだ、といろんなレンズが欲しくなってくるのです。

 

その結果、現在30本ほどレンズを持っています。それらのレンズを全部使っているかというと、当然使いきれてません。50mmの単焦点だけで5本くらいあるんですからね。馬鹿じゃないかと思います。

 

本当はわかっているのです。カメラのレンズなんて実は2~3本くらいでいいということは。まあさすがに一本で済ませるのは無理がありますが、プロじゃないんだから、広角のズーム、標準のズーム、望遠のズームくらいがあれば足りるんです。単焦点レンズなんていらないのです。

 

それに写真の出来に対するレンズの貢献度ってせいぜい1割程度。写真の良し悪しは、カメラマンの知識、感性、技能、被写体、撮影時間、カメラ本体の性能などで決まるのです。それにレンズを買って綺麗な写真を撮れるようになったとしても、それはレンズの性能であり、カメラマンの実力ではありません。

 

そんなことわかっちゃいるけど欲しい・・・レンズが欲しい。モノを買うことを検討しているとき、人間の脳内でドーパミンのような快楽物質が出ているのだと思います。コレクターや買い物依存の人は、その快楽物質へ依存しているのです。

 

動物の脳には報酬回路というシステムがあり、それは自分の生命維持や種族保存のための本能です。美味しいものを食べたり、性行為をすると気持ちいいと感じる脳の仕組みです。これに従い、誰から教わることも無く、生き物は自分の生命維持と種族存続に対して能動的になるのです。

 

そして、その仕組みはよくできていて、食事のために行動すること、セックスをするために行動すること、何かを得るための準備の行動をしている間も、快楽を感じるようになっています。食べ物を探す、見つける、獲物を探す、異性を物色するという段階でも、興奮して快楽を味わうのですね。

 

買い物行動は、獲物や食物を獲るときまでのプロセスと似ています。食べたときに気持ちいい、だから食べ物を食べる、というのは生命維持でわかりやすい脳の仕組みですが、人間はお腹が満たされる結果が得られなくても、何かを得ようと行動しているとき、気持ちいい状態になっているということです。

 

モノを買うまで心地よくて、モノを買ってしまうと心地良さが終わり、また新しい何かを買うことの検討を始めます。これは脳内に発生する快楽物質の中毒になっている状態なのですね。欲しいものを入手しようと想像、検討している過程において、脳内に快楽物質が得られるのです。

 

綺麗な女性やイケメンアイドルを見てうっとりするのも、同じ仕組みなのだろうな、と思います。手に入れられないとわかっている対象にすら、快楽を得るのですから。

 

インターネットの時代になり、モノの情報や評価などがいつでも簡単に得られるため、物欲はより人を支配するようになった気がします。ネットがなかった時代は、情報誌、例えばファッション誌やクルマ雑誌、モノマガジン等を買わなければ、物欲オバケに憑依されることも少なかったのに、今はネットを見てると、つい購買動機を刺激する情報に触れてしまって、いろいろ買いたくなってしまいます。

 

どれを買うか選んだり悩んだりするのが、人は楽しいのです。買うまでが一番楽しい、とかいいます。買ってしまうと、楽しさもそこで終わり。選んだり迷ったりしているうちが楽しいのです。インターネットはその迷う楽しさを最大化してくれるのです。とにかく商品に関する様々な情報があるので、調べたり比較したり、買った経験談を読んだり、買い物の迷う楽しさが大いに刺激されます。だから私がレンズをいっぱい持っているのは、人間の脳の仕組みとインターネットのせいかもしれません。

 

最近読んだ本に、なぜ人間の欲望にきりがないのか、ヒントになることが書かれてありました。宇宙の物理法則のひとつにエントロピーの法則があります。熱は高いところから低いところに移動するというやつです。エネルギーはあるところから、無い所に移動するのですね。太陽のエネルギーは宇宙空間の中で地球に移動しているのです。

 

地球上でも、あらゆる物質がエントロピーの法則でエネルギーを移動させています。ところが生命は、エントロピーの法則に逆らっているわけです。エネルギーを出さないように内部にため込んでいるのですね。

 

だから常に継続して外部から栄養を取り入れないといけない。生命体はエネルギーを取り入れる行動原理があるのです。そして人間も同じこと。何かを得ないといけないという強迫観念は生命が持っている宿命のようなものかもしれません。