欠乏感の記憶

ネットで売られている商品をいろいろと見ていると、必要でもないのに、やたら欲しくなるものがあります。

 

例えばヒーロー系のフィギュアなどがそうです。私が育った実家は裕福でなかったので、市販の玩具は、ほとんど買ってもらえませんでした。お金持ちの友人の家に遊びに行くと、欲しいものがたくさんあって、とても羨ましく思いました。

 

そういう記憶が残っているので、子供の頃に夢中になったもの、欲しかったキャラクターの精巧なフィギュアなどを見かけると、大人になった今なら買えるぞと、つい販売サイトでポチりそうになります。

 

お酒を飲んで気分が大きくなっているときはとても危険です。でも実際に買った物が届くと、それほど欲しいわけではなかったことに気づくのです。欲しかったのは過去の自分であり、今の自分ではないからなのでしょう。

 

この昔に欲しかったという記憶は、頭の中に強く残っていると、今の自分に影響を与えることがよくあります。でも現在の欲しいものではないので、手に入れても本当の満足感や充実感は得られないような気がします。

 

同じようなことは他にもあります。

 

例えば女の子の制服です。可愛く見えるので私も好きです。でもこれも記憶からきている欲求なのだと思います。

 

女性には理解できないと思いますが、思春期の男子の性欲というのはもう大変強いです。体が成長し性的欲求がどんどん強くなってきます。その性欲が旺盛な時期に、欲求の対象である女の子たちと、毎日一緒に学校で過ごすわけですから、モヤモヤする日々を送ります。一部の男子はその欲求を満たすことが出来ますが、多くの非モテ系男子はその欲求が記憶に強く刻み込まれるのです。

 

その結果が男の制服好きです。服の記号性が欲求の象徴として脳に刻まれるのです。そして、いつまでも男心を刺激するようになるのですが、所詮それは過去の記憶の遺物でしかありません。自分の恋人に女子高生の制服を着せたりしても、過去には戻れないし、女子高生とエッチすることもかないませんから、後から俺ってバカだなあ、男ってバカだなあ、と思うだけなのです。

 

衣類へのフェチ、身体部位のフェチなど、どこかしらに性的なものを過剰に感じるのは、そのことによって興奮した記憶が生み出しているのですね。

 

年配の人がやたら食べ物にうるさいのは、幼少期に食欲が満たされなかったことが原因であったり、成金の人が豪華な装飾品を集めたがったり、同様の話はたくさんあると思います。

 

昔欲しかったもの、昔の欲求が蘇ること、そういう欲求を満たそうということは、少なからず誰にもあるでしょうし、今の自分は過去からの連続体であるわけですから、そうした欲求をいつか満たそうということは、悪いことではないと思います。

 

私がなんだか怖いのは、そういう自覚を全く持っていなくて、過去の自分の欲求に今の自分の行動が支配されているものがあるのではないかということです。欲求を満たしても、心が満たされないのは、欲しいという気持ちだけが働いていて、本当に欲しいものではないからなのですが、それに気づかないと、餓鬼のように際限なく欲求を満たそうとしてしまいます。

 

自分を冷静にみて、どこかしら自覚があって、昔こうだったからなあ、という客観的な視点があれば、そういう自分を止めることもできるでしょう。

 

でも今の欲求を感じているものが、本当に今の自分が欲しいものなのか、昔の自分が欲しかったものなのか、それが区別できるということは、自分の主体性を失わないようにする大事なことのような気がします。

 

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