断酒半年後

断酒を決意し実行してから半年たちました。それくらいたつと、お酒のない生活に慣れ、飲みたいという欲求もほとんど感じなくなりました。毎日飲んでいた時間が無くなりましたので、生活や考え方もだいぶ変わってきました。

 

自分にとってお酒とは何だったのか、そして酒をやめて生活や人生がどう変わるかについて、いろいろと考えています。

 

私がお酒を飲み始めたのは、大学へ進学し一人暮らしを始めた頃からです。1年浪人して大学に入りましたので、20歳からです。私は九州の福岡にある大学へ進学しました。九州は、お酒をよく飲む土地柄ということもあり、大学の友人たちと焼酎をよく飲んでいました。

 

最初の頃は、友人と飲んでいて、一人では飲むことはあまりなかったのですが、一人暮らしの侘しさから、ビールを一人で飲むようになり、そのうちスコッチやウイスキーといった強い酒をべろんべろんになるまで飲むようになってました。

 

そのころは退廃的な19世紀末の文学やアート文学や音楽を好んでいて、イギリスのパンクロックも好きでしたので、将来のことなんか知るか!という感じで刹那的に酔っぱらっていました。今時の若者と違ってスマホなんてなかったし、おしゃれもしていませんでしたから、お酒に金を使っていました。

 

大学を卒業し、社会人になってからは、仕事もあるのでアルコールの量は減りました。再び飲酒量が増え始めたのは40歳が近くなる頃。会社で管理職になってストレスがたまるようになり、外で飲んだり家で飲む量が増えてきました。

 

それからどんどんお酒の量は増え続け、ここ数年は、さすがに自分でもダメだなあと思う量になり、現在断酒をしているという流れです。

 

 

お酒というものはやはりドラッグであると思います。そしてお酒を造ったり、販売しているメーカーにとって、お酒は合法的なドラッグビジネスです。依存性があるお酒を、継続的に購入する多くの顧客によってビジネスが成り立っています。顧客の精神的な弱みと、依存につけ込んだビジネスだと思います。

 

そしてそのビジネスは、情報弱者の貧しい人々がメイン顧客であると私は思っています。お酒は日々の癒しであり、お酒を飲むことが大人のたしなみであると、社会から洗脳された貧しい人々が、お酒の産業を支えています。

 

貧しければ貧しいほど、お酒なんか飲まずに、自分の生活を豊かにするための努力をしないといけないのに、面白くもない仕事が終わると、安酒を飲んで現実から逃避する人が多いのです。そしてお酒を飲んで、自分より数十倍も稼いでいるスポーツ選手や芸能人が提供する娯楽を見て、応援しているのですね。

 

そういう社会的な仕組みになっているのは、やはりアルコールなどのドラッグに依存性があるからでしょう。

 

最近オンデマンドで、「ボブという名の猫 幸せのハイタッチ」という映画を観ました。薬物中毒のミュージシャンが野良猫を拾ったことをきっかけに立ち直っていく実話を元にした映画でしたが、自分の若い頃を思い出して、アルコールではなくヘロインを摂取していたら、同じようになってただろうな、と思いました。

 

私は覚せい剤や、幻覚剤、興奮剤、大麻などの違法薬物を使ったことはありません。でも、もしそれらが合法で、簡単に入手できたとしたら、それなりに使っていたのではないかと思います。そう思う理由は、自分もアルコールやたばこの習慣を長年やめられなかったからです。もっと快楽性の高いものなら、手を出していたのではないかと思うのです。たばこやアルコールでさえ、止めるのはそれなりに大変だったので、ヘロインだったら、もうどうなることでしょうか。ちょっと怖くなりました。

 

ドラッグは、若者ほど依存してしまうといわれています。

 

人間の脳というのは、下等な生物の脳から、進化する過程で増築されて大きくなってきたそうです。今の人間の知的レベルに最適化されている脳ではなく、アホな爬虫類とかの生き物の脳を核に、哺乳類生物の脳が進化の過程で何層も増えてきたというイメージですかね。そして人が生まれてから年をとっていく過程でも、脳の構造は、動物的な器官と人間らしい器官の接続部分が変化していくらしいです。だから若い時は血の気が多く、年をとると性格が丸くなるとのこと。人間性の円熟は、経験を積んだからでなく、脳の構造も成長とともに変化するからだといわれています。

 

ドラッグが影響を与える脳の報酬回路は、動物的な脳の部分です。若い時ほど依存性が高くなるのは、若い時は脳が未成熟であるかららしいです。それに若者は世間のルールを嫌います。理不尽なように思える社会の仕組みが嫌いなのです。ドラッグを使うと、反社会的な行為をすることになるので、ルールを守っている人間に対し、優越感を抱くことができるのです。かっこいいとか、自分は特別であるとか、そう思っちゃうのでしょうね。たばこだって不良の象徴で、高校生はイキがって吸いますし、私もそうでした。

 

でも大きな勘違いなんです。そういう反社会的なイメージのドラッグも、自分が嫌いな社会システムの一部ということがわかっていないのです。誰かが得するビジネスに騙されて手を出しているだけ。かっこいいところなんて何もないのに、そう思わされている。クラブでキメたとしても、飲み屋で酔っぱらって上司の愚痴を言ってる、中年のオヤジと何も変わりはないのに、自分は特別でイケてると思い込んでるんですね。

 

 

ドラッグに依存するというのは、本当にカッコ悪いです。何がカッコ悪いかというと、人として生まれて、生きている意味をつくる自分の幸せ感を、化学反応によって感じていることがカッコ悪いです。化学薬品で幸せになるなんて、化学薬品で生きる目的を満たすなんて、自分の人間の尊厳を否定するのと同じです。生まれた時から死ぬまで、朝から晩まで薬物に浸って多幸感を味わって人生を終える人をみて、羨ましいと思うでしょうか。薬物による幸福感は、日常の幸福感の無駄遣いをしているだけです。

 

 違法薬物ではないにしろ、私も無事に煙草とアルコールをやめることができたわけですが、それは加齢による脳の変化の影響もあったからではないかと思っています。

 

お酒をやめて、いろんな感覚がだんだんと鋭敏になってきたように思います。というか、かつての感覚を取り戻しているだけかもしれません。酒によって自分が鈍感になってきたのとは逆の方向に、ゆっくりと変化しているような気がします。

 

人から与えられた価値観を信じきっている人には、全体が見えなくなってきます。お酒をやめることは、そのシステムから逃れて精神的に自由になることです。その自由が、システムに組み込まれるよりも幸せかどうかはわかりません。しかし自分で自由に行先を探すことは楽しい旅であると思えます。

 

酒飲みにとっては、新しい人生、新しい自分に出会う方法として、お酒をやめるのはとても安上がりな方法であると思います。

 

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